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松戸市は、東西11.4キロ南北11.6キロ面積 61.2平方キロ
江戸川をはさんで埼玉県と東京都です。

松戸の地名が文字となって書かれたのは、 治安元年(1021)上総国の
国司であった菅原孝標と娘が京都 に帰る途中、松戸を通ったと
『更級日記』のなかに
「・・・しもつさの国と、武蔵との境にある
ふとい川と云うふかかみの瀬、 まつさとの津にとまりて・・・・」

と書かれている、まつさとが松戸であろうといわれいます。
江戸川を境に武蔵国と向かい合い交通の要衝だった松戸は何度か合戦があり、
また江戸を守ために 徳川家康の五男の武田信吉を小金の領主にし、
江戸川には松戸の関所をもうけました。

昭和18年(1943)松戸市が誕生したときは、人口4万432人でした。
昭和30年(1955)に 6万8363人とゆるやかな人口の増加でしたが、
その後、東京のベッドタウンとなり、平成14年3月1日(2002)現在
人口は47万2802人に急激に増えました。

林や田園は住宅に工場に道路に変わっていきました。
今や、自分の家に寝に帰るだけというありさまです。
そこで、ちょっぴり立ち止まり、私たちの松戸を振り返ってみませんか?
松戸には、二十世紀梨の元祖、伊藤左千夫の野菊の墓の舞台となった史跡があり、
私たちのふるさと自慢ができます。

「ふるさとを知る」これが、私たちのふるさと造りの基本ではないでしょうか?
       
これからこのページで私たちのふるさと松戸を紹介していきたいと思っていますので、
皆様のご協力をお願い致します。

●松戸市下矢切     矢切駅徒歩35分   下矢切バス停徒歩30分
江戸時代初期に始められたものといわれています。当時は、矢切村と柴又村の地域住民の生活渡船として利用され、今日に至っています。
●葛飾区柴又     京成柴又駅     徒歩5分
矢切の渡しによる対岸の船着場から徒歩10分ほどのところに柴又帝釈天があります。正式には経栄山題経寺といい、寛永6年忠上人の尊創と伝えられています。本尊は、日蓮上人自刻の帝釈天の板仏です。
また、この寺は、「彫刻の寺」とも知られ「十二支」や「法華経説話彫刻」は極めて価値のたかいものです。境内には、端麗の松や御神みず、浄行菩薩があります。
松戸市下矢切   矢切駅徒歩10分   下矢切バス停徒歩5分
伊藤左千夫の処女小説「野菊の墓」は明治30年代の矢切地方の牧歌的な風情が描かれています。下矢切の西蓮寺境内にその一節を刻んで昭和40年5月に建てられた野菊の墓文学碑があります。

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